Coal Creekプロジェクト【概要】1970年のアースディ以降、米国の電力会社は多くのプロジェクトに対する反対運動に直面しました。 特に、原子力発電所や高圧送電線プロジェクトは激しい論争を巻き起こしました。 ここで紹介するミネソタ州の電力会社は、送電線建設計画で大きな失敗を経験した後、その経験を踏まえて同様のプロジェクトを成功させました。 【内容】1. Coal Creek プロジェクト計画とその経緯 〜ミネソタ州での失敗〜2.リスク・コミュニケーションの観点から 〜何が問題だったのか〜3.教訓から生まれたプログラム 〜ノースダコタ州での成功〜4.事例に学ぶ1.Coal Creekプロジェクト計画とその経緯 〜ミネソタ州での失敗〜Coal Creekプロジェクトは、ミネソタ州を基盤とする2つの発電・送電会社Cooperative Power Association(CPA)と United Power Association(UPA)によって計画された大規模な電力供給システム開発です。 ノースダコタ州に2つの石炭火力発電所を建設し、そこからミネソタ州ミネアポリスまで電力を供給するための 送電線や変電所を建設するというものでした。激しい論争が起こったのは、ミネソタ州内を通る短い直流送電線の建設に関してでした。 2社は、新規建設の可能性と設計について調査を始め、1974年6月までに必要な土地をミネソタ州内に確保しました。 CPAとUPAはともに直流送電線によって影響を受けるミネソタ州とノースダコタ州の各地で公聴会を始めましたが、 1974年の夏から秋にかけて、直流送電線の建設に対する反対がミネソタ州で起こりました。 送電線建設に反対する地区では、住民参加による環境影響評価をするよう要求しました。 この要求は州法に基づいたものでしたが、プロジェクトはこの州法の対象になっていませんでした。 それでも問題を重くみた州政府は、法律に基づいて州環境委員会(state Environmental Quality Board)を設置し、 プロジェクトの環境影響評価を行いました。 1975年4月から6ヶ月間の公聴会、膨大な証言集が作成され、州政府は必要性認可を1976年4月2日に出しました。
CPAとUPAは送電ルートを提出し、新たな公聴会が1976年の3月と4月に開催されました。
さらに、新しい市民ルート評価委員会が送電線の代替案を検討するためにつくられ、環境影響報告書のドラフトと最終報告が
、最終的なルート決定に向けて州政府によって準備され、すべての報告書の検討と公衆関与の後、1976年6月3日、
州立地局は送電線の建設許可を与えました。 Cool Creekプロジェクトは、一応の完成をみましたので、プロジェクトとしては成功したといえるかもしれません。
しかし、経緯に示したように、この計画は住民に受け入れられたものではなく、法的手続きで無理やり推し進めたものであり、
リスク・コミュニケーションとしては失敗でした。実際、建設段階から破壊や妨害行為が続き、
商用運転後にも警備を強化しなければなりませんでした。建設および運転中の保安コストは約500万ドルに上ったといいます。 2.リスク・コミュニケーションの観点から〜何が問題だったのか〜 人々の考え方と社会状況は車の両輪のように影響を及ぼしあっています。
以前成功した方法でも、社会状況が変化していれば成功するとは限りません。
プロジェクトに対してどのような反応が予想されるかを考えることが重要であり、社会の時代的背景を踏まえることが重要です。 しかし、2社はこのような社会情勢を検討することを怠りました。
他プロジェクトから学ぶことも強力な反対運動家に対処することも怠りました。
農民の不満を理解していなかったために、プロジェクトの必要性についての議論が浮上することを予想できませんでした。
また、反対運動を一時的な事象と捉え、次第に弱まると考え、何も手を打ちませんでした。
2社は、前述したように説明会や公聴会を実施しましたが、有意義な方法でのコミュニケーションする方法を探したり、
地元自治体や一般市民の意見を取り入れたりすることを行いませんでした。
住民参加プログラムはすべて州環境局によるものでした。
市民との関係づくりができなかったのは、両社がこの規模のプロジェクトを動かすのに
適切な人材を充てていなかったためでもあります。プロジェクトの代表者は適切な訓練も
バックグラウンドも持っていませんでした。例えば、ある住民説明会で代表責任者が説明すべき時に、
コンサルタントに話をさせるという過ちを犯しています。 多くの公聴会や住民説明会、そして州政府による環境影響評価の過程で、 反対派住民は多くの疑問・要望・代替案の提案を行っています。主な意見は次のとおりです。
2社は農地を通る送電線網について、様々な代替案が出されたにも関わらず、非常に硬直的な態度を取り続けました。 反対は一時的なものであり、規制の手続きを遵守することだけを考え、人々と対話をしようと試みませんでした。 しかし、プロジェクトを悩まし、論争を継続させた問題は健康影響でした。2社は、ミネソタ大学の研究に資金を提供し、 直流送電線が重大なオゾン量の変動をもたらさないとする結果を示しましたが、交流送電線を扱った様々な研究や報告書から、 電磁界の生態系影響に対する疑問が浮上しました。土地所有者たちは、健康影響への懸念を理由に、 建設許可を撤回するよう州に働き掛け、州政府は、独立した科学者たちによる委員会での検討を含め、 健康影響を調査することになりました。専門家委員会の答申や他の利用可能な情報を基に、州政府は、 人体および動物に対する送電線の健康影響は短期的にも長期的にも重要なリスクとは考えられず、 建築許可を修正もしくは撤回する必要なしとの結論を出しましたが、それは1982年12月のことでした。 2社の硬直的な態度や健康リスクの解明の遅れのほかに、問題を大きくさせたのは、州の規制手続きに対する誤解でした。
公聴会等を通じた徹底した検討にもかかわらず、ミネソタ州中西部の多くの人々が、州の規制手続きは「お決まりのもの」であり、
普通の市民にとっては複雑すぎ、市民の意見などほとんど意味がないものとして扱われたと感じていました。というのも、
プロジェクトに反対する多くの人々は、「幅広い多様な市民の参加」条項を、計画変更が可能であることだと解釈していたのです。
しかしながら、人々が決定できる唯一の事柄は、送電線をどう建設するべきかであり、「建設するかどうか」ではありませんでした。
これらは市民の誤解でしたが、プロジェクトに対する敵意を生み出す原因になってしまいました。 3.教訓から生まれたプログラム 〜ノースダコタ州での成功〜 一方、送電線のほぼ3分の2が走っているノースダコタ州では、深刻な政治的問題に陥りませんでした。
実際、必要な送電線用地の98%は土地所有者との自発的な調整によって獲得されましたし、重大な破壊行為も起こりませんでした。
ノースダコタで論争が巻き起きなかった3つの重要な事柄は、法執行に対する態度、規制に対する考え、そして、2社の態度変化です。 ノースダコタ州の土地所有者たちは最初からかなり協力的≠ナした。ノースダコタ州は、エネルギー輸出地域であり、
住民は炭鉱近郊の発電所や巨大な水力発電ダム、長い高圧送電線といった巨大なエネルギー設備に慣れていましたし、
こうした設備が州の経済や地域の生活水準向上に必要なものとして受け入れていました。ノースダコタで起こった唯一の破壊行為は、
ミネソタとは異なり、地元の法執行機関と裁判システムで処理された。 ノースダコタ州もまた、直流送電線の立地に関して電力施設立地法を持っていましたが、
その法律と規制はミネソタ州のそれとはかなり異なっていました。ノースダコタ州では、単にルート、
もしくは電力会社やその他の機関による代替案の受容に関するものであり、事前の判断基準を満たしているかどうかが問題とされています。
他方、ミネソタ州の規制では、立地選定プロセスが最良の<求[トを見つけることを求めていました。
また、ノースダコタ州立地局は一般的に産業界寄りであり、妥当なコスト意識を持っていました。
これは、同じ部局が電力設備の立地のみならず、その設備に対する適切な報酬率を決めているためで、
彼らは電力会社と消費者双方のコストを考えなくてはならなかったのです。 ノースダコタ州のプロセスがミネソタ州の後で動いたことから、CPAとUPA両社はミネソタ州で学んだ教訓を ノースダコタ州で活かすことができました。例えば、2社は規制当局や土地所有者に対して非常に柔軟な態度を取ったし、 あらゆる団体と接触しようと努力しました。 Coal Creekプロジェクトの経験から、土地所有者や一般市民を巻き込んだ進め方によって問題を 縮小もしくは除去できることが明らかになったため、1978年初め、UPAは市民参加の公式プログラムを策定しています。 このプログラムは、3つの基本的段階から成っています。
このプログラムは、ミネソタ州中央部Benton Milacaプロジェクトという高圧送電線建設計画に適用されました。 プログラムの第1段階は1978年1月に開始され、その年の10月に州政府へプロジェクトの申請手続きが行われました。 公聴会は、1979年の夏中行われ、1980年2月建設許可が下りています。 この送電線は、UPAの配電協力会社のひとつであるEast Central Electric Association(ECEA)のサービスエリアを通ることから、 ECEAを中心に、消費者へのニュースレターの発行・配布、地元紙や地元ラジオ局を通じての情報提供が行われました。 UPAとECEAのスタッフは、プロジェクトの疑問に答えるため、ニュース番組に出演したり、直接電話質問に答えたりしています。 さらに、送電線内の都市や友好的な地元組織と連絡をとり、プロジェクトについて議論する場が設けられました。 UPAおよびECEAによって選ばれた農業組合、省エネと環境に関する団体、さらに政治団体や行政、 サービス組織を代表する地元住民による特別委員会が組織され、プロジェクトについての議論と意見交換が行われました。 UPAはまた、検討されているルートにある主要な町に広報車を送り、買い物客らに対して説明したり、彼らの質問に答えたりしました。 UPAとECEAは、社員に対しても、彼らが市民から質問を受けたときに適切な対応ができるようにプロジェクトの情報を提供しました。 ECEAの部長たちは、社内の計画案策定と情報提供プロセスについて意見を述べる資格を与えられ、 土地所有者と個人的なつながりをつくる努力を行いました。自治体長や議員たちへの情報提供も行われました。 こういった一連の活動によって、UPAは、送電線が受け入れられそうな地域と受け入れられそうにない地域をはっきり見極めることができ、 説明会を通じて得られた課題は検討され、問題を引き起こさないように軽減措置が取られたのです。 これらの準備段階を経て、1978年10月、申請書が州政府に提出され、州の立地手続きが始まりました。 州政府は、ルート選定上の問題を指摘し、望ましいルートを提案する地元市民による委員会を設置しましたが、 この委員会のメンバーの多くとUPAはすでに接触を持っていました。従って、市民アドバイザリー委員会がUPAの申請と 同じルートを提案したのは驚くことではありません。州政府の公聴会では、Cool Creekプロジェクトに反対した ミネソタ州西中央部の団体が、UPAと州政府が直流送電線の検討時に彼らをどのように扱ったかを土地所有者たちに 説明するためにやってきましたが、彼らは地元の土地所有者たちに強く叱責され、外部の援助はいらないと言われてしまいまた。 市民説明会や公聴会はほとんど静かに、秩序正しく行われ、UPAとECEAが検討していなかったような事柄が浮上することはほとんどありませんでした。 4.事例に学ぶCoal Creekプロジェクトの教訓は、その後に作成されたUPAの住民参加プログラムに要約されています。 UPAの住民参加プログラムでは、プロジェクトの計画申請前に時間をかけて情報を収集する段階が設けられています。 つまり、 「十分な準備」 が必要であることをUPAは学んだのです。この段階では、プロジェクトに関連する 一般的な情報が提供されるとともに、様々な集団や立場の人々の考えが集められ、プロジェクトの促進要因と 妨害要因が十分検討されます。個人や集団レベルでのコミュニケーションが図られ、人々の不安や懸念や要望が プロジェクトの計画への実質的なインプットとなります。 この準備作業を行うためには、UPAが社内の多様な部門や社外の協力会社を含めた委員会を設けたように、 「組織的な対応」 が求められます。これには、「トップマネジメントの関与」、 つまり経営層が明確な意思を示すことが重要であり、また資金や時間、労力面でのコスト負担を覚悟しなければなりません。 多くのプロジェクトは、しばしば経営層の態度があいまいであったり、コスト負担を避けようという理由から、 準備を怠りがちであり、紛争を招いています。 しかし、綿密な準備は事業者にとってもメリットがあります。UPAでは、準備段階で様々なルート案について 自然・社会・文化・農業への影響を検討しました。一般に、事業者のルート選定は技術的経済的な基準に基づいて行われることが多く、 それを最適ルートと考えがちですが、社会的な選択は技術と財政面だけで行われるわけではありません。 政治的歴史的社会的心理的要素や人々の価値観も重要な選択基準になっています。社会的に影響のあるプロジェクトの場合、 これらの基準を考慮しないことが後の紛争を大きくしがちです。したがって、人々の意見や要望を収集し、「多様な視点でプロジェクトを評価する」 ことが、'社会的に'最適なルートの提案を生み出します。さらに、他の事例等では、 このような社会的アセスメントによって、技術専門家が見落としていた問題が明らかになったり、 事業者にとって費用節約的な代替案が見つかったりということも経験されています。少なくとも、 UPAの成功事例が示すように、検討していなかった問題が後から浮上しにくいという点で、プロジェクト全体の時間節約効果は期待できます。 計画の最初の段階から地域住民を関与させるということは、 「地域住民をパートナーとして考える」 ということにほかなりません。 パートナーとなることで、住民はプロジェクトへの関心と理解を高め、自らの選択への責任を感じることができるようになります。 事業者が提案する技術がいかに優れたものか、いかに環境や住民の健康・生活に配慮しているかを知れば、信頼感も生まれるでしょう。 このような関係は、当該プロジェクト以外の事業活動にもよい影響を与え、次のプロジェクトでは準備にかかる負担を軽減する可能性ももっています。 つまり、住民参加やリスク・コミュニケーションは、長期的な地域社会との関係づくりの一環として考えるべきであり、 一時的な取り組みや普遍的な成功手法は存在しません。
参考文献:
Dan McConnon, Public Participation in Routing Transmission Lines: A Program Born of Adversity, Ducsik, W.D.(ed.) Public Involvement in Energy Facility Planning : The Electric Utility Experience, Westview Press Inc., 1986. |
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