ボパール事故【事故の概要】1984年、インドのボパールにあったユニオンカ―バイト社の工場から有毒ガスが漏出する事故が発生しました。 この事故によって15000〜20000人が被災し、工場周辺の住民3500名が死亡するとともに、2500名に障害が残りました。 【ユニオンカーバイト社の対応】事故発生を会社が知ったのは午前8時でした。事故対応を協議した経営層は、道義的責任を認める決定をしました。 米国の法制下では、違法行為があれば企業は刑事罰を受けるか、罰金を支払いますが、 道義的責任は認めないのが一般的ですので、この決定は特異なものと言えます。 特にこの工場はインド政府が株式の20%を保有する現地法人で、経営者も従業員もすべてインド人でした。 親会社であるユニオンカーバイド社は50.01%の株を保有しており、彼らはこの0.01%の責任を真剣に受け止めたといえるでしょう。 【緊急記者会見】 午前11時には100名を越す記者が会社につめかけ、緊急記者会見が開かれました。
この時点で会社は事故原因をつかんでいませんでした。広報担当者は、原因がわかっていないことと、今後の情報提供の方針を明確に示しました。
スポークスマンの発言は以下のとおりです。 【広報担当者の役割】緊急記者会見後、この健康・安全・環境分野の副社長は、コミュニケーション戦略の責任として '提供できる情報はすぐに伝える'という姿勢をとりつづけました。 彼は、事故当日から始まったいくつかの記者会見に登場するとともに、 記者を対象としたウエストバージニアにある研究所の施設見学ツアーを企画しました。 さらに、最高責任者がいつでもメディアのインタビューに出席できるよう準備していました。 【責任ある対応と事故の影響】迅速な記者会見と同時に、ユニオンカーバイト社のアンダーソン会長はすぐにボパールの事故現場に直行し、2日後、責任をとって辞任しました。 会社は犠牲者に対して緊急医療と財政援助の提供を申し出、インド政府に対して4億7000万ドルの和解金を支払いました。 事故調査は、インド政府と会社によって行われましたが、未だに公表されていません。 会社にうらみをもったインド人社員の破壊工作の疑いがもたれていますが、会社は世論の影響を考慮して、責任を早々に認め、和解金を支払ったのです。 リスク・コミュニケーションはタイレノール事件ほどうまくいきませんでしたが、その後、マスコミがこの事故を取り上げることはありませんでした。
参考文献:
社)日本電気協会新聞部「危機管理 米国企業の戦略」 |
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