社会的倫理の問題社会的倫理とリスク・コミュニケーション社会的倫理とは、社会が私たちの行動を判断する規準です。したがって,社会が変化すると、その倫理や結果として生じる行動も変化します。 リスク・コミュニケーションもまた,社会の要請に応じて変化するものですが,これは,社会がリスクやその倫理的問題をどう捉えているかに依存しているからです。 以下では,社会のリスクに対する考え方がリスク・コミュニケーションにどのような問題をもたらすかを示しています。 社会政治的環境の影響社会は常に変化しています。特にリスクに対する見方や決定方法は変化してきています。 リスク・コミュニケーションが誕生した米国でも,1950年代までは強い国家統治が望まれていました。 しかし,環境問題やベトナム反戦運動などを通して,人々はより民主的な社会を求めるようになったのです。 リスクについても同様で,1950年代、人々は知らされていればそのリスクに関連する決定を受け入れられると感じていました。 1960年代と1970年代に社会の視点は変化し,人々は決定がなされる前に聞かされるべきだと考えました。 そして,1980年代以降,人々は,実際に決定に影響を与えられるようになるべきだと感じるようになったのです。 (⇒ リスク・コミュニケーションの歴史) 今日,社会(人々)は,リスクを評価し,管理し,情報を交換することに関わるべきだと考えています。 したがって,例え最適な決定であっても,人々に知らせずに決定することは受け入れられにくくなっています。 例え「安全性」をいかに立証したとしても,人々の意見も聞かずに進めてしまうことは問題視されてしまいます。 このような社会的倫理を考えると,リスク・コミュニケーション上の問題は,あらゆる段階で市民を関与させるかどうかになります。 緊急事態に市民の意見を聞いている時間がないように,どの程度関与させるべきかは状況によって異なりますが, その判断を組織の都合だけで行うと社会から批判されかねません。どのような状況においても人々を関与させる努力をすることが求められています。 どんなリスクに誰を関与させるか人々は,組織や専門家の説明を聞いて,しばしば腹をたてることがあります。 それは,専門家が「このリスクは重要なものではない」とか「このリスクの大きさは無視できる程度のものです。」と言ったときです。 なぜ人々は怒るのでしょうか? 第一の理由は,専門家たちがそのリスクを受ける人々自身ではないからです。 あなたは,あなたの生命や財産に関わることを他の誰かに決定されたいでしょうか? 「人々には自分のことを決定する権利がある」のです。 第二の理由は,組織や専門家たちのリスク評価が狭い範囲のものであるからです。 専門家たちは複雑なリスクアセスメントの計算方法を説明して納得させようとしますが,リスクを評価するためには様々な仮定をおく必要があります。 それらの仮定や計算方法が妥当かどうかを誰が決めたのでしょうか? リスク評価の方法のみならず, 伝える情報の内容や伝える相手の決定も,ほとんどの場合,組織や専門家だけで決められています。 リスク・コミュニケーションでは,「早い段階から人々を関与させること」が推奨されています。 これは,単に社会の風潮だからそうするのではなく,人々には「自分に関するリスクを知り,対処する権利がある」からにほかなりません。 人々が自分に関するリスクに関心をもち,理解したいと願っているなら,あなたやあなたの組織はその期待に応えることが求められます。 より具体的に,リスクアセスメントの様々な段階で人々を関与させることの倫理的意味を考えてみましょう。 例えば,りんごの殺虫剤の健康リスクを評価しようとしたとき,専門家は成人男性を対象に評価を行うかもしれません。 しかし,人々が,子どもたちが昼食に毎日りんごを丸かじりしながら食べていることを知っているなら, そのライフスタイル上の特徴を踏まえなければ健康リスクを評価したといえないでしょう。 一般に,子どものリスクはデータも少なく実験もできず,調査するには時間と費用がかかるためにしばしば無視されます。 しかし,人々の主要な関心が子供のリスクであれば、成人男性の評価結果では納得いかないのは当然です。 さらに、だれが分析するかも倫理的問題に関わってきます。人々は,専門家と言えども関連する組織の利害と無関係ではいられないことを知っています。 しかし,人々に関わるリスクは可能なかぎり中立的に客観的に評価されなければならないと考えられています。 多くの人は,複数の専門家集団が同じ情報を分析して、類似の結論に達すれば,その結果を信頼するかもしれません。 あるいは、人々が選んだ専門家が分析するという方法を信頼するかもしれません。 評価の中立性・客観性・公平性を確保する方法を選択することが,あなたやあなたの組織への信頼にもつながるでしょう。 このように,人々の関心やどんな方法や情報を受け入れやすいかを考えることは,リスク・コミュニケーションを成功させる秘訣ですが, それは単なるテクニックではなく,リスク評価や管理・コミュニケーションを人々が考える社会的倫理に沿ったものにするということをも意味しています。 リスクの公平性あるリスクは時に特定の人だけに大きなものとなります。もしこれらの人々のリスクの大きさが,人々自身の選択や意志の結果でないなら, 「すべての人は平等である」とする私たちの社会の倫理に抵触していることになります。 例えば,カルフォルニア大学社会学教授Bullard博士は,著書「南部諸州のごみ:人種、階級、環境の質」の中で, 「有色人種(黒人、ラテン、アジア、原住民)は、地方自治体の埋め立て地、ゴミ焼却場、危険なゴミの処理や貯蔵や廃棄施設によって、不当な負担に耐えている。」 ことを示しています。1993年、このような工場や埋め立て場の立地がもたらす潜在的な環境リスクについては、 リスクの平等を考慮するように将来努力するという条項を含んだ法律が議会に提出されました。これは「環境における平等」と呼ばれています。 多くのリスク・コミュニケーションは,環境における平等が考慮されていない場合を扱わなければなりません。 不当にリスクを受けていると感じている人々は,あなたの言葉を何も聞こうとしないかもしれません。 彼らの怒りを弱める一つ方法は、リスク評価や管理のプロセスに彼らを参加させることです。 彼らのライフスタイルを考慮したリスク評価のシナリオを作成し,データ収集に協力を求め,リスクを小さくする方法について意見を求めましょう。 コミュニケーションの結果に対する責任社会的倫理の問題としては、メッセージが誤解されたときに何が起こるかという問題があります。 例えば,労働者が安全な手続きを誤解して怪我をしたとき、誰が責任を負うのでしょうか。 マニュアルをよく読まなかった労働者の過失でしょうか? 労働者をよく訓練しなかった組織の問題でしょうか? その設備の製造業者の問題でしょうか? あるいは、誤解されるようなメッセージを作成したコミュニケーターの責任が問われるべきなのでしょうか? いかにあなたが慎重にメッセージを作成しても,常に何人かは誤解するものです。 少なくとも,メッセージが誤解されることによる問題を最小限にとどめるために,あなたは,どのような情報を集め, どう伝えるかを真剣に検討しなければなりません。そこでは,受け手である人々がどのような関心をもち, どの程度の知識や理解力をもっているかを考慮しなければなりません。つまり,リスク・コミュニケーションの成功に不可欠な「受け手を知ること」にほかなりません。
参考文献:
Lundgren, R. Handbook of Risk Communication キーワード:リスク・コミュニケーション、倫理 関連項目: 関連サイト: |
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