リスク認知とは私たちのリスクの感じ方は様々です。国や文化によって違うこともあれば、性別や年齢、職業(専門性)によって異なることもあります。 特に問題視されてきたのが、専門家のリスク評価と非専門家のリスクの感じ方とのずれでした。 専門家のリスク評価専門家は、リスクを「人間の生命や健康、資産に望ましくない結果をもたらす可能性」としてとらえ、 その大きさを「危険をもたらす確率」と「その障害の重篤度」という2つの要素によって扱います。 そして、これらをできるだけ科学的なデータや方法によって評価しようと努力しています。 リスク認知とは一方、私たちは、科学的なデータや方法を用いなくても、リスクについて考えることができます。 例えば、スキーに行けば骨折するかもしれませんし、衝突事故による死亡の可能性もあります。 この時、私たちは、骨折や事故がどのくらい起こりそうかについて「主観的な確率を推定」し、 骨折や事故が自分にとってどのくらいひどい結果をもたらすかという「望ましくない出来事のひどさの程度」を思い浮かべています。 このように、専門家のリスク評価と同様、私たちが「主観的な確率推定」と「望ましくない出来事のひどさの程度の認知」 によって感じているリスクの大きさがリスク認知です。言い換えれば、リスク認知とは「望ましくない出来事の不確実性に関する主観的な見積もり」です。 リスクコミュニケーションのために有用なリスク認知のとらえ方しかしながら、リスク認知は主観的なものであり、必ずしも確率推定と結果のひどさだけが問題となるとは限りません。 例えば、同じような事故確率であることを知らされても、なじみのない先端技術に対しては、旧知の身近な技術よりもリスク認知が高くなります。 また、大惨事がもたらされうる、と考えると、その確率が非常に小さいといわれてもリスク認知は大きなものになります。 この場合、確率推定という要素はリスク認知にあまり影響しません。 このようなことから、一般市民を対象とするリスクコミュニケーションでは「リスク認知とは一般市民が直感に基づいて行うリスク判断である」 と緩やかにとらえたほうが有用です。そして、一般市民のリスク認知がどういうふうに構成されるのかを調べたうえで、 リスクコミュニケーションに生かそうという努力がこれまでなされてきました。 一般の人々のリスク認知を考える上では、人の認知の特徴と対象となる事柄の性質による影響をふまえることが重要です。 人は誰でも興味のあるものに注目しやすかったり、過去の経験から判断したりします。 これらの特徴がリスクを高く感じさせたり、低く感じさせたりします(→認知のバイアス)。 また、どのようなリスクを考えるかによっても異なってきます。一般に、個人で選ぶことができるものや利益が大きいもののリスクは低く感じがちです (→リスクを高く感じる要因、リスク認知の2つの次元)。 |
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