スリーマイル島原子力発電所事故【事故の概要】1979年3月28日の午前3時55分、米国ペンシルバニア州スリーマイル島にある原子力発電所2号炉で異常が発生しました。 蒸気発生機二次系の給水ポンプに故障が発生し、緊急炉心冷却装置が作動しました。 ところが、運転員が誤作動と勘違いして、緊急炉心冷却装置を止めてしまい、炉心溶融一歩手前まで進んでしまい、わずかではありますが、 環境中に放射性物質が漏えいしました。 【発電所側の対応】発電所が地元自治体に第一報を入れたのは午前7時2分、州知事への連絡は7時50分で、異常発生から4時間後のことでした。 また、もっとも近接していた町への通報は、2日後の3月30日になってからです。 通報時、電力会社は事故の詳細を把握していませんでしたが、
「屋外への放射能漏れはない。市民の健康と安全に害はない。技術的に適切に対応しており、すべてをコントロールしている。」と発言してしまいました。 電力会社は記者会見を行っていませんでしたが、交通パトロールをしていた警官が発電所から水蒸気が出ていないのを見て 「異常が発生したのでは?」と地元ラジオ放送局に連絡したため、取材が殺到しました。 会社が情報を出さないため、記者たちは直接コントロールルームに電話をかけ、取材をするという混乱状態が起きました。 そして、住民への事故の第一報は報道機関からとなってしまったのです。 【緊急事態宣言】 放射能レベルが上昇しつづけたため、原子力規制委員会は州対策本部に連絡し、州政府がメディアに情報を出しました。
実は、この間に発電所や電力会社の情報と原子力規制委員会の話が食い違い、州知事に正確な情報が入らない状況となり、
州知事は発電所と原子力規制委員会に強い不信感を抱くことになりました。 放射能漏れを確認した州知事は、3月30日午前9時に緊急事態を宣言し、8キロ圏内の妊婦と乳幼児150名への避難命令を出し、 16キロ圏内の住民95万人には外出自粛を要請します。ところが、州知事の発表前に州政府の役人が緊急事態宣言をメディアにリークしてしまいました。 州政府の準備ができないうちに、報道を聞いた14万人が避難を開始、交通混雑などの問題を引き起こしてしまいました。 一方、電力会社は、緊急事態宣言から2時間後の30日午前11時に会見し、「避難した人には500〜600ドルの保険を支払う」と不用意な発言をしてしまいます。 これを聞いて、ちょうど週末を控えていた住民のかなりの割合が、保険目的で避難をはじめ、一層事態を悪くしてしまいました。 また、電力会社は情報提供の遅れを指摘され、「あらゆることを報告する義務はない」と発言しました。 結局、外出自粛は31日の午前零時まで続き、臨時休業や臨時休校が相次ぎました。
妊婦と乳幼児の避難は4月9日まで継続されましたが、住民の被ばく線量は無視できるほど低いものでした(3500人・レム)。 【失敗の要因】第一の問題点は、発電所からの事故通報の遅れです。ここには、事故の実態が把握しにくかった設計の問題と、 「悪いことを伝えたくない」という人間の心理的作用が考えられます。 第二の問題は、電力会社が発電所内の実態を完全に把握していないにも関わらず、「安全である」と虚為報告をしてしまったことです。 一旦嘘をついてしまうと、嘘を隠すためにまた嘘をつくことになってしまい、最終的には非常に困難な事態に陥ってしまいます。 第三は、原子力規制委員会や州政府との情報連絡と共有が行われなかったことです。緊急時の対応では、自治体の協力が欠かせません。 そのためにも迅速に情報を提供し共有する必要があります。スリーマイル島事故では、電力会社が積極的に情報を提供せず、 提供する内容も原子力規制委員会と食い違っていたため、州政府の不信感を買い、協力を得られませんでした。 むしろ、州政府は電力会社とは異なる立場を示そうと、電力会社を批判したのです。 最後に、住民広報の欠如です。緊急時には、できるだけ多くの人々が冷静に判断し、指示に従って適切な行動をとれるように、 情報を提供することが求められます。スリーマイル島事故では、州政府が十分な情報を得られなかったことや 住民・報道機関への情報提供計画がなかったことから、誤報やセンセーショナルな報道が続き、住民の不安感を高めてしまいました。 この後、米国では原子力発電所の新設はストップしました。スリーマイル島事故の環境・健康影響と比較すれば、 いかにコミュニケーションの失敗が大きな影響をもっていたかが理解できるでしょう。それから20年以上、 米国の原子力産業が安全運転の実績を重ねた結果、最近の米国の世論は原子力容認派の増加を示しています。 信頼は一瞬にして失われますが、信頼を得るには長い時間がかかるのです。 |
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